オナ禁教

禁欲をすることで性欲をはじめとする煩悩を超越し、人生を充実させることを目的とする場

経過報告

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街コンで知り合った二人の女性との経過を記しておく。

R(26):会社の同僚Fに完全に奪われる。ブロックはされていないが、LINEの感じだと僕には全く興味ない様子。脈なし。

S(26):RよりもLINEのやりとりが続き食事の約束もしたが、仕事のシフトがまだ分からないからと日程を決めさせてくれない。連絡待ち。脈なしの可能性大。

M(36):街コンで知り合った女性ではないが、過去に何度かデートには行ったことがある。付き合うには至っていない。この度、複数日お祭りデートに誘ってみるものの仕事を理由に断られる。たぶん脈なし。

こんな感じで、なんかもうどうでもよくなってきた。
就職活動で自殺する大学生の気持ちが少しだけわかったような気がする。何度も何度も「お前はなんの価値もない不要な人間だ」と扱われ続ければ死にたくもなるだろう。
小学生の頃、図書室で読んだ「楽しい野球(故・小林繁氏)」という本に「人生のバッターボックスに立ったら、見逃しの三振だけはするなよ。」と書かれていて子供ながらに衝撃を受けたのを覚えている。
「見逃し三振だけはするな。」つまり、挑戦しろということである。だから俺は俺なりにできるだけのことはした。クソみたいな手持ちカードで。でも、どんなにバットを振ってもかすりもしない。それどころか打席に立つことさえままならない。俺には最初から無理な話だったんだ。

孤独を受け入れろ。孤独を受け入れないと大人になれない。大人になれないガキばかりの国で大人にならなきゃなンねェーンだ。


俺は金と顔との生存競争に敗北した。俺の遺伝子は淘汰され、跡形も無く消え去ってしまうだろう。
仮に淘汰されなくても「自分は死んでも、自分の遺伝子は子供に引き継がれる」という見解は厳密には間違っている。
なぜなら「遺伝子が我々の複製をつくるためにある」のではなく「我々が遺伝子の複製をつくるためにある」からだ。

人の遺伝子は、ランダムにかき混ぜられ、その上、子供には二分の一しか伝わらない。この度合いは、孫には四分の一、ひ孫には八分の一といったように徐々に薄まっていく。ある人から5世代後にもなると、その人の遺伝子と重なるのは32分の1にすぎなくなるから、もはや共通点があるかどうかを見極めることすら困難になる。
我々の遺伝子自体は不死身かもしれないが、特定の個人を形成する遺伝子は崩れ去る運命にある。エリザベス二世は、ウィリアム一世の直系の子孫だが、彼女がいにしえの大王の遺伝子を一つも持ち合わせていない可能性は大いにある。繁殖という過程の中に不死を求めても虚しいだけだ。

引き継がれるのは「利己的な遺伝子」で「自分の遺伝子」といえるものは、どんどん薄まっていくばかりである。遺伝子を引き継いだところで、自分が生きた証など残りはしない。所詮我々は子孫からは消え去る運命なのだ。

だが、たとえ俺の遺伝子は残らなくても、オナ禁教という文化遺伝子は残り続ける。オナ禁教というミームは永遠である。



小林繁の楽しい野球〈投手編〉 (ジュニア・スポーツ・セレクション)

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