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オナ禁教

禁欲をすることで性欲をはじめとする煩悩を超越し、人生を充実させることを目的とする場

究極のオナ禁とは

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anond.hatelabo.jp

究極のオナ禁とは何か。それは、オナ禁をしている自覚すらなくオナ禁を継続できている状態である。オナ禁という概念があることそのものが、手しごきへの執着を拭い去ることができていない証拠でもある。そういう意味では、今こうしてオナ禁教を設立していること自体、究極のオナ禁の境地には至っていないとも言える。

子供の頃は、手しごきなんて知らなかったし、手しごきなんてしなくても幸福だった。つまり「究極のオナ禁」状態だった。子供は大人に比べて、ドーパミンが分泌されやすいので、鬼ごっことか、缶けりとか、大人にとってはなんら刺激の無い遊びでも、飽きず楽しむことができる。ただ、友達とボールを追いかけているだけで楽しかった。
オナ猿になったことで、脳がドーパミン漬けになってしまったせいで、あれだけ好きだったテレビゲームも心から楽しむこともできなくなってしまった。

素敵な服も、おいしい食べ物も、優雅な部屋も、豪華な旅行も、金で買える喜びはすべて他人が作りだしたものだ。たとえ、そうしたものを全て手にすることができなくとも、その状況をを楽しもうとする気持ちさえあれば、人は、自らの手で喜びを作り出すことができる。子供の頃は皆そうだったはずだ。
金を持っているというのは、あくまでも、幸福の一部分でしかなく、幸せは自分次第でいかようにも作り出すことができる。金がなくても、人は幸せになることができるのだ。

「究極のオナ禁」状態にはもう二度と戻れないかもしれないが、それに近づくことはできるはずだ。そのためにも僕はオナ禁を続けていく。

「思い出したことがあるかい 子供の頃を」
「その感触 そのときの言葉 その時の気持ち 大人になっていくにつれ、何かを残して、何かを捨てていくのだろう」
「時間は待ってくれない 握りしめても、開いたと同時に離れていく そして……」