読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

オナ禁教

禁欲をすることで性欲をはじめとする煩悩を超越し、人生を充実させることを目的とする場

究極のオナ禁とは

anond.hatelabo.jp

究極のオナ禁とは何か。それは、オナ禁をしている自覚すらなくオナ禁を継続できている状態である。オナ禁という概念があることそのものが、手しごきへの執着を拭い去ることができていない証拠でもある。そういう意味では、今こうしてオナ禁教を設立していること自体、究極のオナ禁の境地には至っていないとも言える。

子供の頃は、手しごきなんて知らなかったし、手しごきなんてしなくても幸福だった。つまり「究極のオナ禁」状態だった。子供は大人に比べて、ドーパミンが分泌されやすいので、鬼ごっことか、缶けりとか、大人にとってはなんら刺激の無い遊びでも、飽きず楽しむことができる。ただ、友達とボールを追いかけているだけで楽しかった。
オナ猿になったことで、脳がドーパミン漬けになってしまったせいで、あれだけ好きだったテレビゲームも心から楽しむこともできなくなってしまった。

素敵な服も、おいしい食べ物も、優雅な部屋も、豪華な旅行も、金で買える喜びはすべて他人が作りだしたものだ。たとえ、そうしたものを全て手にすることができなくとも、その状況をを楽しもうとする気持ちさえあれば、人は、自らの手で喜びを作り出すことができる。子供の頃は皆そうだったはずだ。
金を持っているというのは、あくまでも、幸福の一部分でしかなく、幸せは自分次第でいかようにも作り出すことができる。金がなくても、人は幸せになることができるのだ。

「究極のオナ禁」状態にはもう二度と戻れないかもしれないが、それに近づくことはできるはずだ。そのためにも僕はオナ禁を続けていく。

「思い出したことがあるかい 子供の頃を」
「その感触 そのときの言葉 その時の気持ち 大人になっていくにつれ、何かを残して、何かを捨てていくのだろう」
「時間は待ってくれない 握りしめても、開いたと同時に離れていく そして……」

ヒトラーが多くの人間を惹きつけた理由

ヒトラーと禁欲についての話をしようと思う。

ヒトラーの青年時代の親友にアウグスト・クビツェクって人がいるのだけれど、二人はよくリンツの歌劇場に仲良く通っていた。そして、劇場での休憩時間に二人はよくロビーをうろうろしてたのだけれど、ある日、クビツェクはその際に女の子や婦人達の視線に気付いたのだった。

クビツェクは、この何か興味ありげな視線が、最初は自分に注がれているのか、ヒトラーに注がれているのかわからなかった。もしかしたらこの視線は僕に対するものかも・・とかヒトラーよりもイケメンのクビツェクは思ったりしていた。

しかし、よく観察すると、クビツェクはすぐに気づいてしまった。この視線は自分にではなくて、ヒトラーに向けられていたものなんだということが。
ヒトラーの服装はとても質素で、態度も控えめでそっけない感じだったらしいのだが、ご婦人にはとっても人気があって、時々振り向いて彼を見る婦人すらいたくらいだったという。

これらの出来事から、クビツェクははっきりと理解した。つまり、ヒトラーは強い女運を持っていて、しかも驚いたことに彼はまったくその幸運を利用しようとしないということに。ヒトラーは大都市のさまざまな性的倒錯に強い嫌悪ををもって立ち向かっており、オナ禁をかなり長期に渡って実践していた。

いったい女性達はヒトラーのどこにそれほど魅力を感じるのだろうとクビツェクは当時よく自問した。確かにヒトラーは均整のとれた顔立ちですらりとした若者だけど、一般的に美男子と呼ばれるほどの容姿でもなかった。もしかしたら、並外れた明るい目に彼女達は惹かれていたのかもしれないとクビツェクは感じていた。
また妙に厳しく、禁欲的な表情に惹かれるのかもしれない。いずれにせよ、教師や教授などの男性とは反対に、女性達は非常に早いうちからヒトラーの中にある特別なものを感じ取っていた。

ちなみにこれらはヒトラーが15~21歳ころのエピソード、まだだれも彼をしらない無名の時代。ヒトラーは完全なオナ禁主義者だったのだ。

オナ禁をはじめることで確実に変わったと言えること

オナ禁をすれば心が変わる。
心が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。



オナ禁をはじめて、1つ確実に変わったと言えることがある。
時間が増えた。人は皆平等に1日に24時間しかないので正確には増えてはいないのだけれど、手しごきに当てる時間が無くなったことで時間に余裕が生まれた。

手しごきは膨大な時間を浪費する。
おかずを探す時間、実際にしごく時間、しごいた後に疲れて眠ってしまう時間。それを毎日続けるとなると、いったいどれだけの時間になるだろう。そして、その時間をもっと生産的なことに費やしていれば、どれだけ有意義であっただろう。もしオナ猿を脱却できなければ、この先もずっと同じように時間を浪費していたのだろうと思うと慄然とする。それに気づけただけでもオナ禁をはじめた価値はあったと言える。

過度な手しごきが及ぼす害について

手しごきをすると身体のホルモンバランスに影響を与える。男性であれば特にテストステロンの分泌量が低下する。テストステロンが低下することにより体力の減退、精神衰弱になり、薄毛や体毛の原因となるジヒドロテストステロンが生成される。

男性ホルモンであるテストステロンは筋力増大はやる気にも関係しており、このテストステロンがミルク放出時により多量に分泌される5αリラクターゼによりジヒドロステロンに変化する。ジヒドロテストステロンは個人差はあるが、薄毛や体毛の増加を引き起こす。
したがって過度の手しごきが行われることにより、気力の低下や薄毛が引き起こされるのだ。

また、男性の場合、ミルクを放出すると、プロラクチンとオキシトシンというホルモンが出る。そのうちプロラクチンは脳下垂体を刺激するホルモンであるが、筋肉の分解や記憶力の低下をもたらすストレスホルモンであるコルチゾールの分泌も高めてしまう働きがある。そのため強烈な快楽と引き換えに自律神経が乱れたり、情緒が不安定になっていくのである。

ティムポミルクを構成する栄養素は果糖、たんぱく質アミノ酸核酸亜鉛セレンなどがあるが、過度な手しごきによって以上の栄養素が浪費されることにより、栄養素が不足していく。

アミノ酸不足は、筋力・体力の低下、ホルモンバランス異常、鬱症状、不安・焦燥感、免疫力低下、抜け毛、不眠などに繋がる。亜鉛不足は、皮膚疾患、抜け毛、味覚障害セレン不足は筋力低下、核酸はDNAの素材なので不足は老化に繋がる。いずれにせよ、どれも身体には不可欠な栄養素で、手しごきをすることでこのような症状があらわれる可能性がある。

1度や2度の手しごきではこのような悪影響はほとんど出ないが、依存症になり、毎日、複数回、長期間にわたって繰りかえされると身体の不調が出るようになる。この悪影響は自分でも気づかないうちに少しずつ確実に脳や身体を蝕んでいく。気がついたときには取り返しのつかないダメージを残してしまうのである。

更年期障害などもホルモンバランスの乱れが原因であるように、ホルモンバランスの乱れは精神に直接影響する。過度な手しごきが繰り返されることで同様の症状があらわれてもなんら不思議ではない。野生の生物でも交尾が終われば生を終える生き物は少なくないのだ。
種を存続させるために性衝動は睡眠欲や食欲と並ぶほどに強力である。さもなくば人は滅んでしまう。しかし現代社会において必要以上に強すぎる衝動となって人々を苦しめている欲望でもある。社会において性欲を常に解放していれば人に迷惑がかかるばかりでなく、犯罪者になってしまう。そのための代替物として手しごきをすることで人々は衝動を抑制してきた。
しかし、欲求が満たされることはない。人間の欲望の赴くままに増殖し続ける性産業や手しごきは人間の理性を破壊し、深刻な依存を生み出している。
手しごきを覚えた猿は、てしごきをやめることができず、延々とやりつづけるという。人間は他の動物よりも前頭葉が発達しており、欲求をある程度コントロールできる。性衝動を他のものに昇華していき、正しい手段でパートナーを獲得していくことが正しい人間の在り方ではないだろうか。

日本で最も信者を集めている宗教 洗脳社会から抜け出すには

オナ禁教とか宗教ってマジ気持ち悪いんだけど。」とあなたは思うかもしれない。
では、あなたは日本で最も信者を集めている宗教を知っているだろうか。それは「金(かね)」である。

金が宗教とはいったいどういうことかと、もしかしたらあなたは思ったかもしれない。

貨幣が価値を持つのは、誰もがそれを貨幣と信じて疑わないからだ。
1万円札に価値があるのは、特殊な紙やインキが使われているからではない。我々が、福沢諭吉の似顔絵が描かれた紙切れに1万円の価値があるとする宗教を信じているからに過ぎない。
 ただの紙切れに価値があるというのは一種の法螺話だ。どうせデタラメなのだから、貨幣は実は、石ころでも貝殻でも構わない。現在では、銀行の預金通帳に打ち出された電子データが貨幣だと信じられているが、大事なのは貨幣の材質ではなく、実体のないものに価値を認める信仰心だ。貨幣経済とは、貨幣を神様と崇める宗教である。神の姿をこの目で見ることができないのと同様に、貨幣の実在を客観的に証明することもできない。
日本人が日本国を信用しなくなると、日本円という貨幣の価値が低下する。日本の「神」を、海外のもっと魅力的な「神」と交換したいと考えるからだ。そして国民が「紙切れはしょせん紙切れに過ぎない」と気づいた時に、貨幣制度は崩壊する。幻想が剥がれてしまえば、1万円札もただのゴミと変わらない。

このようにして貨幣制度は人々の共同幻想によって支えられている。貨幣にとらわれるのは、夢や幻にとらわれるのと同じだ。ヒトが一匹の動物として生まれ、成長し、老い、死んでいく自然を前にして、貨幣の多寡に何ほどの意味もない。
現代社会は貨幣が無いと生きていけないという強力な洗脳によって支配されている。欲望の洗脳社会から抜け出すには瞑想とオナ禁により精神の高みに到達するしかない。

オナ禁が継続できることはそれだけで尊い

smartlog.jp


『さんまの 東大方程式』にも出演し、メディアからの注目も浴びているイケイケイケメソ東大生、イナイダイキ。

そのイナイダイキは、毎日の手しごきを欠かさないオナ猿であり、オナ猿アイテムであるテ〇ガのおすすめ紹介記事を書いている。

天才でもない限り、東大に受かるには毎日勉強するために、自分を律する能力がなくてはならないだろう。その自己管理能力が高い東大生ですらできないのがオナ禁である。
モニターを見ながらアホ面でテ〇ガでソーセージをしごいているところを想像してみてほしい。ろくに欲望のコントロールができず、快楽を貪っているオナ猿の姿がそこにある。東大など所詮その程度でしかない。恐るるに足りない。

オナ禁が継続できるということはそれだけで、僅か数パーセントの上澄みの、そのまた数パーセントの人間なのだ。オナ禁を実践しようとしてる、もしくは実践しているあなたは選ばれた人間である。

悟りのプロセス

ここに愚者と智者のふたりがいたと想定しよう。

愚者は、例えばここでみかんを一個買う。それを食べて、そのおいしさを味わったとしよう。
次の日も二個 三個四個と買って飽きるまで食べる。
そして、みかんに飽きる。もはや美味しくはない。次はりんごにしよう。彼はりんごを食べる。飽きるまで食べる。
次はももだ。ももで同じことを繰り返す。

ここで、智者だったらどういうプロセスを辿るだろうか。その人は、みかんに飽きたとき、「なぜ私はみかんに飽きたんだろう?」と考える。
そして、「私は今度は、りんごを食べたいと思っているけど、ひょっとしたらりんごにも飽きるんじゃないか。」っという考えに至ることだろう。
そして、りんごに挑戦するとき、 「その時の心の変化をできるだけ客観的に見ていこうじゃないか。」と決心する。そして、りんごを食べていきながら、個数を増やしていきながら、心の変化を理解していく。
そうすると、みかんとりんご、これくらいで飽きる経験はすんでしまうわけだ。飽きる経験がすんでしまうから、次のももまでいかない。いく必要がないのである。
みかんやりんごが、車に変わっても同じだ。例えばポルシェカイエン、例えばベントレー、例えばマセラティ。初めにポルシェカイエンに乗っていて、飽きてベントレーにする。次はマセラティにしてみる。これとみかん、りんご、もものプロセスは全く同じだ。
エーブイ女優について考えても同じだ。橋本ありな、川村まや、立花はるみと心が移っていくプロセス、これも全く同じだ。

したがって、我々は、もし、みかんで心の動きを理解したならば、車に対してもエーブイ女優に対しても、惑わされることはないだろう。その時、自ずと悟りが訪れる。
急に、「悟り」なんて言葉がでてきて驚かれたかもしれない。もしかしたら、あなたはみかんや車やと悟りが、なにやらつり合わないような気がするかもしれない。
しかし、悟りとは心の動きを客観的に見て理解できる状態のことなのだ。これが悟りのプロセスである。